
久留米出身の画家というと、『 海の幸 』 や 『 わだつみのいろこの宮 』 の青木繁や、『 放牧三馬 』 の坂本繁二郎、前衛画家の古賀春江が良く知られ、特に、青木繁と坂本繁二郎の2人は良きライバルであり、また終生親友であり、久留米出身の画家の二大スターとして、久留米市にある 「
石橋美術館 」 に作品が展示されています。
同じ久留米出身の画家でも、高島野十郎は生前ほとんど無名の画家でした。中央画壇に属さず、生涯娶らず、晩年は千葉県柏市の質素なアトリエで晴耕雨描、まるで修行僧のように生き、1975年9月17日、野田市の老人ホームで亡くなりました。享年85才。
その生涯と作品が最近知られるようになり、2005年から2006年にかけて福岡市と三鷹市で 「 没後30年展 」 が開かれ、先日はNHKの 「 新日曜美術館 」 での放送もあり、日本中に野十郎ファンが増えつつあります。
昨日はその野十郎の命日、久留米市山本町の曹洞宗の古刹 「 観興寺 」 にある墓碑に花を手向けてきました。
野十郎は1890年、久留米市東合川の大地主で造り酒屋の6人兄弟の4男に生まれ、本名は弥寿、字は光雄。
「 野十郎 」 は ” 野に生き野に果てる ” という意味の、後に自分で付けた雅号らしい。
東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業し、学者としての将来を嘱望されながら画家の道を選びます。
もともと12才年上の長兄の宇朗が家業を捨て詩人となり、深く仏教に傾いていったことや、
宇朗が同じ明善中学出身の青木繁と交流があったことなどが、野十郎に影響があったのかもしれない。

久留米市の南東部に、屏風のようにそびえる「耳納 ( みのう ) 連山」がある。
東西に約30kmも連なる山々を、龍の背のようだと言う人もいる。
野十郎は、市川市在住の姪や帝大時代からの親友の手によって、千葉県市川市の霊園に埋葬されましたが、
野十郎の望郷の想いを知った近親者が、耳納の山懐に抱かれた「観興寺」に墓碑を建立し分骨を納められました。
この野辺に立ちゐて思ひも更らになし 東も西も日は暮れて行く・・・・野十郎ノートから

観興寺は653年創建の「九州西国霊場」の第十八番札所の古刹、境内には苔むした石仏や杉の大木が立ち並び、
ひっそりと埋もれるように野十郎の墓碑があります。ちょうど蝉時雨に包まれてました。

大きな自然石に、野十郎の伸びやかな筆跡で金文字の名が彫られています。

足音を立てず 靴跡を残さず 空気を動かさず 寺門を出る
さて 袖を拂ひ 裳をたゝひて 去り歩し行く 明々朗々遍無方

「新日曜美術館」の番組の中で、東合川の生家の映像が流れたのを見て訪ねてみました。造り酒屋の面影が残る大きなお屋敷で、生垣と塀に囲まれています。昔はもっと広大な敷地だったのでしょうが、今はアパートや住宅に取って変わっているようです。昭和八年、野十郎がヨーロッパから帰国して久留米に戻ってきた折、庭の片隅に作ったというアトリエ 『 椿柑竹工房 』 の名残もなく、玄関を飾った銘酒 「 千代の友 」 の暖簾もありませんでした。

野十郎最期の年、次第に体調を崩すようになっていた彼を、姉スヱノと姪が柏市のアトリエを訪ねた折の会話がせつない。
野十郎 「帰りたかねぇ」
姉 「どこにね。和泉 ( 久留米の生家がある地名 ) にね」
野十郎 「いんにゃ。和泉にゃ帰らん。・・・・温石に帰りたかと。
あすこで死にたか」帰りゆく里もなき身のなにゆへに あの御山にぞゐねざりしかや・・・・野十郎ノートから野十郎は 『 椿柑竹工房 』 時代に故あって生家と断絶し、「 もう二度と関門海峡は渡るまい 」 と言って上京したそうだ。その後空襲で焼け出された時に、姉の嫁ぎ先の八女に疎開したり、筑後へ帰郷したと思わせる歌を残したりしているが、再び生家を訪ねることはなかったらしい。野十郎らしい潔さではあるけど、寂しい心を覗いた気がする。

「温石」とは、耳納連山の山腹にある 『温石湯 ( おんじゃくゆ ) 』 という鉱泉の湯治場で、かつては画家・青木繁も好んで通った。今でも案内板があり、地図にも名が残るが、ずいぶん前の台風の被害で休業されたままだ。
( 「温石」は玉川温泉と同じものなのかなぁ〜、今ならラジウム泉と鄙びた風情が人気となるかも・・・)

28才で夭折した青木繁は、「自分の遺灰は高良山の奥のケシケシ山の松の根元に埋めてくれ」と言い残し、
坂本繁二郎らの手によって、兜山 ( ケシケシ山 ) の見晴らしのいい場所に歌碑が作られた。
野十郎の長兄・宇朗もまた、「おれが死んだら骨灰を 桜がきれいな耳納の発心山に撒いてくれ」と遺言したそうだ。
耳納連山には夏目漱石の歌碑もあり、はるか筑後川と筑後平野を望んでいる。
「温石湯」は山深く、竹林や杉林に囲まれてなんの眺望もないところだが、
野十郎にとっては、断絶した生家と家族の思い出が詰まった場所なのかもしれない。

森林つつじ公園にある 夏目漱石の歌碑

野十郎ノート、最後のページ
花も散り世はこともなくひたすらに たゞあかあかと陽は照りてあり
参考文献 「
高島野十郎画集―作品と遺稿
」 「
過激な隠遁―高島野十郎評伝 川崎 浹 (著)
」
「
野十郎の炎 多田茂治著
」
過去記事 /
2008年8月31日 テレビ番組 「 新日曜美術館 」 と高島野十郎関連本
/
2006年1月12日福岡県立美術館にて 「 没後30年 高島野十郎展 」
/
2005年10月7日 「 なんでも鑑定団 」 に出品された野十郎の作品を見て
【 BALI TRAVEL 】久留米の観光やビジネスにおすすめのホテルを baliの視点で紹介してます。宿泊したい人もそうでない人も参考にしてね >>
記事のURL | 2008.09.18 | 芸術と文化に触れてみてん | Comment : 08 | Trackback : 00 | ▲Page Top | Edit
勝手ながら私どものサイトからこの記事へリンクをさせていただきました。
http://sirube-note.com/painter/
もしよろしければ、こちらのページより相互リンク登録もしていただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/painter/link/register/
現在のページからのリンクは一定期間の予定ですが、よろしくお願い致します。
(自動書込のため、不適切なコメントとなっていましたら申し訳ございません)
token:GfZWeJ0h